曲芸飛行を見た本田宗一郎少年の夢「飛行機を作りたい。」ホンダバイクのエンブレムに刻んだ夢。宗一郎亡き後も続いていた少年時代の夢。それは戦後日本の夢でもありました。戦後より続く「日本国産飛行機の復活」。21世紀の国産飛行機ともなったホンダジェット。
少年時代からの夢。見届けられなくても「満足だった」
ホンダのバイクのエンブレムは翼を模しています。これは少年時代の宗一郎少年の夢を形にしたものでもありました。残念ながら飛行機製造を夢見ていた本田技研工業の創始者本田宗一郎氏は自社の飛行機を見ることなく亡くなりました。
しかしながら、今回のホンダジェットには疑問が残ります。ジェットではなくレシプロエンジンであれば、レシプロプロペラ機ぐらいであれば飛行機として飛ばせたのではないかと…。もちろん現代のプロペラ機もそのプロペラを回してるのはターボプロップだったりしますが、レシプロもないわけではありません。事実2003年の米国航空ショー「EAAエアヴェンチュア・オシュコシュ」ではホンダ自ら4気筒エンジンをプロペラ航空機エンジンとして展示しています。この時期でも宗一郎氏の死去より10年以上経過していますが、それでも私には存命中に十分通用するレシプロ航空機エンジンとして世に送り出す事が出来たのでは?と思うのです。
しかし、あのカミナリオヤジであった宗一郎氏のことです。何かしら気に入らない点があったのでは?お客様にはお渡しするための「ホンダ品質」には達してないと判断していたのでは?そう考えたとき彼が自らの夢を見届けることが出来なくとも、あえて世に送り出さなかったことに対して死去の二日前の病室で遺した「満足だった」という言葉もこれまた重みが出てくるものです。
妥協を許さないオヤジの魂はこのジェットにも宿っているのか?
今回ホンダが世に送り出したホンダジェット。でも純国産もといホンダ純正品なのでしょうか?残念ながら全てを自社のみで全て開発するというわけではないようです。HF120エンジンはGEとの合弁会社であるGE・ホンダ・エアロ・エンジン社製です。
しかしこれは航空機の世界では異例の事です。と言うのもボーイング社やノースロップグラマン社等の大手航空機メーカーでもエンジンは自社資本品ですらないのです。大抵はGE(ゼネラル・エレクトリック)社・P&W(プラット&ホイットニー)社・ロールス・ロイス社などのエンジンを取り寄せています。ですが、ここに合弁とは言え自社でも開発に乗り出す姿勢は、妥協を許さなかった故・本田宗一郎氏の少年期からの夢だからかもしれません。
創業者の死後も続いていたジェットエンジンと機体。長期に渡る開発の結果、この世に誕生したホンダジェットに妥協点なんてあるんでしょうか?少なくとも航空機に関しては専門知識の無い自分には想像がつきません。そして妥協のない設計技術の模索から航空業界の専門家すらも驚いた発見が生まれてしまいました。一般人の目からもその驚きの発見から生まれたデザインには吃驚だと思います。
なぜそこに!?こんなところにエンジンが!!
ホンダの開発陣が色々模索してきたのは今も昔も変わりありません。ホンダジェットのエンジン配置はその模索して得られた新発見でした。本来主翼の上面より上の位置にエンジンが来るとすれば…まぁ胴体後方の位置というのが今までの常識でした。主翼にエンジンが来る場合は主翼の下面になります。このホンダジェットの特徴ともなっている「主翼の上面にエンジン配置を配置する」というのは今までの航空業界での常識では考えられませんでした。そもそもそこに取り付けようという発想すら素人でも考えないものです。
しかしながらホンダはやってしまいました。しかもそこに取り付ける事で多くの恩恵がありました。まず胴体に取り付けない事で胴体にエンジン取り付けのための補強をしなくても良い。すなわちボディの設計の自由度が高まりました。スペースが30%以上、客室内騒音・振動もエンジンから切り離されたことで軽減され乗り心地が向上。
さらにこの取り付け位置には高速時の空気抵抗が小さくなる事も発見されました。これにより、より高速でなおかつ省燃費性能の両立が実現可能となり、航空機設計においての最高名誉。航空機における重要な技術革新に対して贈られる「エアークラフト・デザイン・アワード」に2012年受賞しています。妥協なき開発陣のチャレンジ精神が、かつてのCVCCエンジンと同様に素晴らしい技術革新として認められたのです。そのチャレンジ精神が世界の空を飛ぶ日ももうすぐです。