歴史に密着!モータースポーツ無しにホンダは語れない!

モータースポーツって何?どんなスポーツ?と思う方もきっと少なくないはず。なので今回はモータースポーツの歴史について触れていきます。そしてモータースポーツと言えばあのホンダ!という事でホンダのモータースポーツを中心にお伝えしていきたいと思います。

モータースポーツって何?

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出典:www.honda.co.jp

モータースポーツとは、モーターやエンジンなどの原動力を使って稼働する乗り物に乗り競技種別の違いや、カテゴリと呼ばれる競技ランクによって決まっているルールやレギュレーションに従ってスピードを競うスポーツです。日本で初めて競技が行われたのは1900年前半。東京の目黒区にある競馬場でアメリカに在住している日本人がデモンストレーションを行ったり、報知新聞社の主催で「自動車レース」を開催したりモーターサイクルレースやオートバイによるレースが開催されていましたが、まだ知名度はそこまでありませんでした。1930年代、日本初のサーキット場多摩川スピードウェイがオープン!場所は多摩川の河川敷で「第1回全日本自動車競争大会」を開催!そしてこのレースにホンダの創業者、本田宗一郎も参加していました。このレースは約3年に渡り計5回開催されましたが、第二次世界大戦により日本国内でも競技開催が厳しい状況になってしまい競技中止にせざるおえなくなりました。昔からトントン拍子に競技数や参加者が増えて現在に至ったのかと思いきや色んな困難を乗り越えて来たのかと思い知らされますね。

ホンダのモータースポーツの歴史

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出典:www.honda.co.jp

先ほど少し話に出てきた本田宗一郎。彼がどうやってホンダを世界中に広めたのか。その歴史に迫ってみたいともいます。

多摩川スピードウェイ開催の時弟と共に参加しましたが出場するも事故によって負傷しリタイヤしてしまいました。昔から才能があり、それまで勤めていた自動車修理工場のアート商会を6年間勤務した後「のれん分け」という形で社長である榊原郁三の一言で浜松市に支店設立し22歳で独立します。後にも先にも榊原郁三が「のれん分け」を許したのは本田宗一郎だけでした。

1936年ピストンリングの生産を開始したことによって修理工場から製造業に転身します。そして1948年、モーターサイクルの製造を開始し、本田宗一郎待望の「本田技研工業株式会社」が誕生。やはりその頃からホンダは強かったんです!当時の国内モーターサイクルメーカーは自社の凄さをアピールしていましたがホンダはずば抜けて強く素晴らしかったんです。そして1954年、ブラジルのサンパウロで行われたモーターサイクルレースに国内のめーかーでは初めて参加。1959年からマン島TTレースに出場。1961には125ccと250ccの両方でタイトルを取得します。

「やればできる」という信念の裏には

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出典:www.honda.co.jp

本田宗一郎は社員によく「やればできる」と口癖のごとく言っていました。その言葉は全ての社員に信念として伝わっていました。

1963年、初めてプロタイプのF1マシンが出来上がりその制作作業は非常に短期間ではあったものの猛烈、かつ丁寧に手際よく進みました。実走行であらゆる項目のテスト、エンジンのダイナモテスト、そして全くと言っていいほど新しいレース用エンジンとマシンの開発の3つのプロジェクトが同時進行で行われました。1964年ニュルブルクリンクで開催された西ドイツGPというレースでデビュー。9位まで順位は上がったものの12周目にクラッシュしリタイヤするという予想外な出来事が起こりました。しかしそれでもレギュレーションでは完走となりデビュー順位は13位となりました。その後のレースでも何戦と苦戦し、その学んだ事を生かして研究を何度も何度も重ね1965年メキシコGPにて初優勝を果たします。「車の開発は新しい事への挑戦も大切だが技術の原則にのっとって手堅く作り上げる事はそれ以上に大切だ」と社員に伝えました。世界のホンダとして確立するまで時間も技術も相当かかった事を考えると、やはり才能だけでなく努力はそれ以上に大切なのだと改めて知らされますね。